かの有名なドビュッシー、実は浮気者だった!?
皆さんご存知のフランス人作曲家クロード・ドビュッシー。好きな作曲家ランキングでも常に上位をキープしていて、特に女性に人気のイメージがあります。「アラベスク」「月の光」「亜麻色の髪の乙女」など日本でも有名な曲がたくさんあり、ピアノのレッスンをしている人であればドビュッシー の曲を弾いた事がある人は多いと思います。
そんな大人気のドビュッシー ですが、かなりの浮気男だったらしいのです!今回は彼の素晴らしい作曲家人生、、、ではなく恋多き男ドビュッシー の女性遍歴をお届けします!(笑)
プロフィール
https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー
名前:クロード・アシル・ドビュッシー
生涯:1862年8月22〜1918年3月25日(56歳没)
出身地:フランス、サン=ジェルマン=アン=レ
パリ近郊の高級住宅街に生まれるも、父親の経営する陶器店が上手くいかず、5歳で叔母の住むカンヌに家族で移住。この地で初めてピアノを学びます。そして10歳で難関パリ音楽院に入学し、優秀な成績を収めます。21歳でローマ賞コンクールにおいて第1席(一番高い評価)を獲得。当時フランスではこのローマ賞をとれば1級の作曲家と言われていたそうです。その後も順調に作曲活動を続けていき生涯約200曲もの作曲をします、、、とかなりキラキラしたキャリアを積んでいます。ではこの輝かしいキャリアの裏にはどんなプライベートがあったのでしょうか。早速見ていきましょう!
ドビュッシーの女性遍歴
1880年マリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人と不倫
1880年、ドビュッシー18歳。夫人令嬢ジュリアと関係をもち、声楽教室で出会ったマリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人とも交際をします。こちらは不倫だったそうです。ヴァニエ夫人にはたくさんの歌曲をプレゼントしたと言われています。
同世代と思われるご令嬢や年上と思われるご夫人とも交際できるとは10代の頃から恋愛の幅が広いです。
1892年〜1895年ガブリエル・デュポンと交際、そして浮気、婚約
1892年、ドビュッシー30歳。ガブリエルデュポン と交際し、すぐに同棲を開始します。デュポンは献身的にドビュッシーを支えたといわれていますが、なんと2年後ソプラノ歌手のテレーズ・ロジェと婚約します(デュポンと交際中)。この婚約はすぐに解消されたそうですが、交際相手がいるにも関わらず他の女性と婚約って、、、ドビュッシーは一体何を考えていたのでしょうか。そして翌年、ドビュッシーはオペラの作曲に励んでいたのですがその試唱を頼んでいた歌手のカトリーヌ・ステーヴンスと恋愛関係になります(デュポンと交際中)。衝撃の結末です、次ページへ続きます。